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泰澄大師について…

 

泰澄大師は飛鳥時代(7世紀末)、越前国麻生津(現 福井市三十八社町 泰澄寺)に生まれました。神童といわれた大師は14才の時、夢のお告げで越知山に上り、苦行難行の7年後、21才の時ついに仏の教えを悟ったといいます。

 

泰澄大師の事跡としては、この名声は都まで届き、朝廷は鎮護国家法師に任じました。その後、36才の時、2人の弟子、臥(ふせり)行者・浄定(きよさだ)行者と共に霊峰白山を開いたとされています。

 

養老7年(722年)、元正天皇のご病気を祈祷によって平癒したことにより、神融禅師の号を賜わりました。
天平2年(730年)一切経を写経し法隆寺に納めました。これは、宮内庁図書寮に現存しています。

 

天平9年(737年)、全国に疱瘡が流行し、勅名により祈願を行い疫病を終息させました。このとき、天皇から大和尚位を授けられ、「泰澄」の尊号を賜わりました。

 

神護景雲元年(767年)越知山に戻った泰澄大師は、釈迦堂の仙窟に座禅を組まれたまま86歳で遷化されたと伝えられています。

 


 

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