おみくじについて・・
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元三大師由来のおみくじ
厄よけのお大師さまとして知られる元三大師。 正式には慈恵大師・良源上人(912~985)と呼ばれ、正月三日に亡くなったのでこの呼び名となられました。
比叡山の十八代の座主で、天台宗の“中興の祖”ともいわれ、数々の霊験や説話が残っていて、降魔大師、角大師、豆大師などの異名もあります。
有名な元三大師の護符(中段左写真:角大師)をよく見ると角が生えて目はぐりぐり、口は耳まで裂け、あばらが浮き出し、ものすごい形相で、ちょっと西洋の悪魔にも似ています。
仏様のイメージとしてはだいぶ変わっているとは思いますが…。
疫病が流行していた永観2年(984)、元三大師は鏡の前で瞑想し、自らの姿を骨ばかりの鬼に変え、その姿を写した弟子の絵を、お札に刷って家々の戸口に張るように命じ、疫病を退散させたと伝えられ、自ら鬼となって魔物と闘うので、降魔大師の名の由縁となりました。
実はこの元三大師こそが、現在、仏教各宗の寺院や神社で行われている「おみくじ」の創始者であることは案外知られていません。
また、おみくじとは、元三大師が観音菩薩に祈念して偈文(げもん)を授かった観音籤(くじ)が起源と言われ、また、元三大師が如意輪観世音菩薩の化身であると言われているところから、「観音籤」の名があるともいわれております。
江戸時代初期、東京上野の寛永寺に黒衣の宰相といわれた天海大僧正(1536~1643)という方がおられました。天海大僧正は常々元三大師に深く帰依されていましたが、ある日夢枕に慈恵大師が現れて、「信州戸隠山明神の御宝前に観音百籤あり。これは人々の困難を救うために観音菩薩に祈念していただいた、いわば処方箋ともいうべきものである。これを私の像の前に置いて信心をこらして吉凶を占えば、願いに応じてその禍福を知ることができるであろう。」というお告げをいただきました。
天海大僧正は早速に人を戸隠に派遣して確かめると、偈文百枚が納められていたそうです。
これは 番号を付けた百本の籤を小さな穴のあいた箱に納め、至心に祈りながらそのうちの一本の籤を引き、その番号に相応した偈文によって願い事の吉凶を判断すると、的確な指示が得られるという物でした。
現在の神社仏閣で気軽に引けるおみくじ、また当薬王寺に伝えられているおみくじは、この「元三大師百籤」から発展したもので、人間の運勢、吉凶を五言四句の偈文(漢詩百首)や和歌(=神社に多い)にまとめ、一番から百番まで連番をふって、引いた番号に書かれた文面で占うものです。
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