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般若心経 私考 7

 

前回までにお話してきましたことをかいつまんで振り返ってみますと、「私たちは普段さまざまな事象に振り回され、それらについて自ら考え、行動しているように感じていますが、(あながちそれも人間の立場でこの娑婆世界を生きていくには間違いではないのでしょうが・・・)「空」と言う大いなる智慧の眼で見たとき、それらのことには自性は無く、また人生の本来の目的、仏教が目指す境地から見れば、あまり価値が無い事にすぎない。」と言う事でしょうか。

まぁこんな解釈は少し乱暴かも知れませんが、間違いではないでしょう。

さて、そして今回は次の文言、
「無眼界乃至無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡」
に取りかかります。

読み下しでは、 「眼界も無く、乃至意識界も無く、無明も無く、亦た無明の盡きる事も無く、乃至老死も無く、亦た老死が盡きる事も無い。」 となります。

相変わらず意味不明な文言ですが、意訳すると、 「目で見て認識する世界も無く、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、身体で感じる、また意識で考える世界も無い。また分別によって生じ、さまざまな苦しみの元となる無知も無く、またその概念が無くなる事も無い。また老いるだとか死ぬだとか言う概念も無く、また老いるだとか死ぬだとか言う事が無くなる事も無い。」 となります。

このままではやはり全く意味不明な文言ですが、前回明らかにしましたこの「無い」と言う概念のキーワード、「そこには本当の意味での価値観は無い」と言う言葉、また今までお話させていただいてきたさまざまな要素を当てはめて考えてみますと、その意味も少し明瞭に見えてくるのではないでしょうか。

目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、身体で感じる、また意識で考える、そう言ったプロセスを経て私たちは普段生活をし、それによる種々の喜びもありますが、さまざまな苦しみも生まれ心を弄ばれるものです。

それ自体が善であるか悪であるかと言う問題ではなく、「そこには本当の意味での価値観は無い」 と言う真実を認識することで喜びにしても苦しみにしても正しく理解する事が出来るのだとこの文言から読みとれます。

また人は物事を分別します。その分別する事によってさまざまな苦しみが生まれます。
何故ならば人がする分別とは、いつも不完全で独りよがりなものに他ならないからです。
それはどんなに徳を積んだ人でも、その人が歩いてきた境遇の、また経験の枠からはみ出る事はなく、例外はありません。これが人が持つ無明の実体です。

そこで普通に考えれば、「この無明をなくせば人は苦しまない」となるんですが、しかしこのお経では「それこそが分別であり無明の始まりである」とも教えて下さってます。

ではどうすれば良いのか? それはここで解明することではなく、このお経を読み進めていくうちに明らかになる事でしょう。  まぁここでは、「その方法は誤りである」と言うことを教えて下さっている文言だと言う説明にとどめ、これを心のどこかにしまっておいて下さい。

話を元に戻しますが、この文節の趣意とは、早い話が、「人間はさまざまな事象を認識し判断し思考して判別するが、それら自体に本来自性など無く、故にそれによって生じる無知や無明なども意味をなさない。また、それ自体が人間の本性でもあるので、人間と言う存在が有る限り無知や無明が尽き果てる事もない。」となります。

そして最後の段落、老も死も無くまたそれが盡きる事も無いという御教えですが、これもまたなかなか理解し難い言葉です。

老いる・死ぬと言う概念に人々が恐れや不安を抱き、苦しみの元を生みだすのには、人が「今」と言う状況を基準にして物事を捉える思考癖があるからだと思うんですが、何故か、人間は(私も含めて)自分たちがもともと老いることも死ぬこともひっくるめての存在であることを忘れてしまっています。   (まぁそれで、人生は何となく流れて送られるわけですが・・・。)

それが善い悪いと言うものではなく、さきの説明でも述べましたとおり、その苦しみの元となる概念には本来自性はありません。  もともと、人は「オギャー」と生まれたその瞬間から確実に老いが始まり終焉にむかってプログラムが着々と進んでいきます。

しかしそれは人間に限った事ではなく、生きとし生けるもの、例外なくすべてにあてはまる事でもあります。

少しこの文節が示すイメージを言葉で表現する事が難しいので、ちょっとここで足下の小さな蟻に目を向けてみて下さい。

蟻は自分の生に疑問や不安などもたず淡々と生き、粛々とその命を全うしていきます。
この蟻や、またさまざまな他の生命たちの生きざまの中に、私はこの御教えの心が隠されているように思います。 (もしかしたら人は老いる事の苦しみよりも過ぎ去った時間の後悔によって苦しみを生んでしまっているのかも知れません。) 

どちらにしても、ひとの人生において最大の苦しみであるこの老死にしても結局は苦しみとしての価値はなく、またこの苦しみが人間が人として存在するかぎりつきることもないと言うのがこの御教えなのでしょう。


 

次回へ続く…

 

 

 

 

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